荷物持ちでも構わない

文系大学4年生からデータサイエンティストを目指して頑張りつつ、書きたいことを書きたいときに書きたいだけ書く、ルール無用雑記ブログ。

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しんゆうのしんよう

最近気づいたことだが、僕は寂しがりらしい。

僕は昔から友達が少ないし、趣味も大体一人でできるものなので、特に寂しいと感じることもなく、自分は元々一人が好きな人間だと思っていた。

実際、誰かと過ごす時間よりも一人で過ごす時間のほうが圧倒的に長いし、大人数で遊ぶのは疲れるので好きではない。

一人で遊ぶことに気楽さを感じるのも事実である。

しかし、彼女とは暇さえあればLINEで連絡を取っている(取っていた)し、彼女と連絡を取っていない今も何かあれば友達の誰かしらに連絡して話を聞いてもらっている。

ツイッターやブログでも反応があると嬉しいし、仲のいいフォロワーがみんな寝静まっているとひとりぼっちでつまらないなあと感じてしまう。

思うに、「話しかけたら応じてくれる親友や彼女、SNSで繋がれる知人」の存在があるからこそ、これらが存在し続けてくれると信じているからこそ、一人の時間が楽しいのだろう。

要は甘えているのだ。

甘えることができる繋がりが少なく、かつ個々への依存が人より大きいので、それを失ったとき激しくうろたえる。

 

ただ、同時に、最初から失ってもいいと思っている知り合いの方が割合としては多いので、「こいつとはもうやっていけない」と感じた相手は切り捨てながら生きている。

我ながら、傲慢もいいところだとは思う。

ただでさえ友達を作るのが苦手なのに、せっかくできた友達も何かあるたびに切り捨てているのでどんどん友達が減っていく。

世の中の人々はどうやってたくさんの友達関係を維持しているのかがわからないというのが本音だ。

たぶん、心のうちでは仲良くしたくないと感じている相手とも上辺の付き合いを切らずに維持することでうまく縁を増やしているのだと思う。周囲を見ているとそう感じる。

あとは、友人に求めるものがそもそも僕より多くないのだろう。

友人に求めるものが多すぎるせいで、勝手に失望して勝手に切り捨てているのかもしれない。

口が悪いとか、嫌いなものが多いとか、沸点が低いとか、僕個人の問題も大いにあるのだろうが。

 

あとは、僕が他人をあまり信用していないというのも理由だろうか。

僕は自分の悩みや愚痴をほとんど人に話さない。

こうやって記事で書いているような内容も、人に話すことはまずない。

愚痴も、何か大きなものに対する愚痴は言うが、身近な特定の何か、例えば共通の知人に対する愚痴は口に出さない。どこから漏れるかわかったもんじゃないからだ。

逆に言えば、漏れて本人に伝わっても構わないような場合は口に出すこともある。

他人を信用しない人間は、他人から信用されないのだと思う。そういう気持ちは、きっと伝わってしまうから。

 

僕の現在の交友関係の大半は、大学で所属するサークルだ。

しかし、サークル内に親友は一人もいない。

友達はたくさんいるし、学外で一緒に遊んだり家に泊まったりということも多いが、彼らを親友だとは思っていない。

彼らに自分の悩みを打ち明けることはできないからだ。

かつてサークルの友人数人と個人的に居酒屋に行ったとき、僕の過去の話をぽろっと喋ったことがあった。

口止めしなかった僕にも問題はあるのだが、あまりおおっぴらにはしたくない話題だったし、僕としてはあまり笑える話ではなかった。

その場にいた人たちを信用していたから喋ったのだ。

しかし、気付けばサークル中に広まっており、いつの間にかあらぬ尾ひれがついて揶揄されるようになった。

きっと彼らに悪意はなく、普段冗談を言い合うような感覚だったはずなのだが、そのときから僕はサークルで自分の話をしなくなった。

そういうわけで、僕は友達が少ないのである。

 

この記事は、サークルの先輩の家でメンバー7人で遊びながら(2人既に寝ているが)スマホでだらだらと書いている。

遊んでいる分には楽しいけれども、彼らと僕では価値観があまりに違いすぎると感じることも多いし、上記の出来事もあるので、彼らと親友になることはきっとないのだろう。

彼らが楽しそうにしていればしているほど、僕と彼らとの乖離が大きくはっきり目立ってくる。

僕の居場所は何処にある?

寂しさを紛らわせてくれる人もいない今、心の穴は、かつてないほど大きく映る。