荷物持ちでも構わない

文系大学4年生からデータサイエンティストを目指して頑張りつつ、書きたいことを書きたいときに書きたいだけ書く、ルール無用雑記ブログ。

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通院生活2日目:人と違うことが美ではない

例え人と違っても自分で考えて選ぶことが美なんだ。

僕の座右の銘である。ちなみに考案者は僕だ。先週の木曜日に自分で考えた。

この世の中には、というかたぶんこの国は特になんだろうが、「人と同じ」ことを美とする人間が多すぎる。

ただ、恐らくそこに、特別な思考はなくて、ほとんど無意識的に人と同じものを選んでいる人が多いのが現状だろう。

人と同じだと安心する、人と違っているのが怖い。

そういった思考はヒトである限りたぶん誰でも少しは持っていて、僕だって当然少しはある。

僕は、「レールから外れること」を極端に恐れる人間であるので、受験生時代は、もっと上の大学も十分手が届く成績を模試で出してはいたものの、浪人だけは絶対にしないと心に決めていたので、A判定もA判定の落ちる方がおかしいレベルの二流大学に在籍している。

これも、「人と違っているのが怖い」という思考に当てはまるだろう。

人と同じことを好み、人と異なることを恐れるのは悪いことではない。

 

しかし、美でもない、と思う。

「和を以て尊しと為す」という言葉がある。

かの有名な聖徳太子が制定した十七条憲法の一節である。

今風に自然な表現をすると、「協調を重んじるべきだ」とでも訳せばいいのだろうか。

聖徳太子の時代からそんなことが言われているのだから、日本人のDNAに刷り込まれているのは仕方がない。農耕民族だし。

確かに協調は大事であるが、協調することと、「人と同じ」ことは一致していないと思う。

 周りがみんな髪を茶色に染めているからといって、周りと同じになるために髪を茶色に染めることは、「人と同じ」になることではあるが、「協調」ではないと思う。

 仲良しグループの中に一人だけ髪色が違う人がいても、それを理由に差別をしないことは、「人と同じ」ではないが、「協調」と言えると思う。

 「仲良しグループの証としてお揃いのアクセサリーをつけよう」みたいな、女子高生が好みそうなやつは、「人と同じ」であり、「協調」でもある。

論理学のような面倒でわかりにくい表現になってしまったが、要は、「協調することは大事だけれども、人と同じこと自体は美しいことではない」ということが言いたいのだ。

 

では、「人と違う」ことが美なのか?それも違う。

流行りものばかり身に着けて、流行りの髪型で街を歩いている人を「量産型」と揶揄する人がいる。

思考停止の量産型は僕も嫌いだが、それを揶揄している人がどういう人間かはわからない。

例えばニューバランスは、昔はロゴがダサいと言われ続けていたところ、どこかの誰かが「人と違う」センスを演出するために履き始めたのが流行り始めたのだと思う。

これからはサコッシュなる首にかけるカバンが流行るらしいが、そういう人が使ってないものを好む、人と違うことを美とする人間も少なくない。

しかし、やはり人と違うことは美ではない。

「人と同じになりたくない」なんて思考はありふれていて、結局「人と同じ」になるのだし、大衆に選ばれるものというのはそれ相応の理由があるものだ。

ただ、「人と違っている」ことだけを尊び奇抜さや変わっていることを誇りとするのは間違っていると僕は思う。

「個性的」と言われて喜ぶ人間ほど無個性な人間はいないのだ。

 マイノリティであることを誇りに思う人間にろくな奴はいない。

自分がマイノリティであることだけを理由にマジョリティを攻撃する奴など言語道断である。

 

 

では、何が美なのか?

「自分の頭で考えて選ぶことが美」だと僕は思う。

ただ人と同じだからというだけで人と同じになることも、ただ人と違っていたいからというだけで人と違いを作ることも、決して美ではない。

人と同じでも、人と違っても、自分の頭で考えて納得して選ぶことが美なのである。

自分で考えて選んだ結果がどうなろうと関係なく、その過程にちゃんと思考しているかどうか、それが一番大事なことだと思う。

上で「人と同じこと」「人と違うこと」どちらも美ではないと言ったのは、それらは単なる結果であって、それら自体は美ではなく、要は思考が停止している人間が嫌いだという話である。

 

 

「人と違うことは美ではない、例え人と違っても自分で考えて選ぶことが美なんだ」

どうして急にこんな話をしだしたのかというと、先日バイト先でこういう会話があった。

 

A氏「iPhoneでYouTube見るときってアプリ閉じると止まっちゃうよね」

B氏「非公式アプリなら閉じても再生できるやつありますよ」

ぼく「Xperiaなら画面分割でYouTube見ながら他の事できますよ」

C氏「いやみんなiPhoneだからその話してないから」

ぼく「あれ?そんなアウェーですか?」

各位「(笑)」

 

その場に6人いたのだが、そのうち5人がiPhoneで、iPhoneでないのは僕だけだった。

なぜ僕がXperiaなのかというと、音楽プレイヤーにウォークマンを使っていて親和性が高いこと、それまでiPhone4Sと6を使っていたのだが止まらない巨大化とアップル製品特有の利便性を無視したデザインに嫌気がさしたこと、日本メーカーの方が日本人にあったものを作れると考えたこと、元々ソニーが好きなこと、iPhoneを使っていて不便なところが些細だがたくさんあったことなど、いろいろ考えて乗り換えた。

つまり、自分で考えて納得して選んだ結果人と違うものになったのだ。

決して、マイノリティになりたくてXperiaを選んだわけではない。

というか、Xperiaは別にマイノリティというほどのマイノリティではないし。

 

また、今のバイト先に入ってすぐの頃だが、僕はブラウザにGoogleChromeやSafari、IEではなくVivaldiというブラウザを使っている。

以前はOperaを使っていたのだが、Operaのエンジンが変わったとかなんとかで、Opera本来の売りであった圧倒的な速さが損なわれたことを理由に、元Opera開発元の一人が独立して新たに会社を立ち上げ、失われたOperaを取り戻すために作ったブラウザがVivaldiだ。

GoogleChromeはまともに使ったことがないので知らないが、VivaldiはOperaのUI/UXをほぼ引き継いでおり、昔のOperaが持っていた速さも受け継いだ非常に使いやすいブラウザだ。

それを最初に知られたとき、「普通Chromeじゃないの?」と何気なく言われたことがあるが、僕はとにかく速いブラウザがよかったので、昔Operaを見つけてOperaを使った後、Vivaldiに乗り換えたのだ。

つまり、こちらも自分で選んで使っている。

決して、マイノリティになりたくてVivaldiを使っているわけではない。

 

しかし、このような些細なことでも、マイノリティであることを揶揄されると、自分の人格全てを否定されたような気持になって僕はひどく傷ついてしまうのだ。

ひとつひとつは些細な選択でも、その些細な選択を積み重ねた結果として今の僕の人格が形成されているのだから、それを否定することは人格否定と同義だと思う。

 


 

前回の記事でも書いたが、僕は自閉症スペクトラムとADHDという発達障害を持っている。

luggagecarrier.hatenablog.com

 

昨日はちょうど、前回もらった薬がなくなって2回目の通院日だったのだが、上記のように「些細なことでも人格全てを否定された気分になる」と病院の先生に話したところ、「それも自閉症スペクトラムの人の特徴」と言われた。

普通の人なら大して気にしないところで深く傷ついてしまうから、この障害を持っている人間は生きづらいのだ。

 

 診察までの流れは初診のときと同じで、事前に軽い問診を受けた後、先生に診察を受けた。

胃の調子は前回よりは多少よくなっているがまだ食欲は戻らず5kg痩せたこと、薬の効果をほとんど感じないこと、ここ数日何をやっても楽しくないこと、発達障害という診断を受けたショックが自分の中で大きいことなどを話した。

先生が言うには、「診断を受けて自分を理解できたことをプラスに捉えないと」と言われたが、僕は今でも、診断なんか受けなきゃよかったと思っている。

また、何をやっても楽しくないということで軽いうつの症状が見られることから、抗うつ剤を出され、薬をより強いものに切り替えられた。

それらを3週間分で、なんと薬代だけで1万円もした。保険外治療ではない。

3割負担で1万円なのである。

一応、大学で入っている学生保険の方に領収書を出せばお金は返ってくるらしいのだが、1万円の出費というのはさすがに苦しいので、週明けなるべく早いタイミングで大学に金をせびりに行こうと思っている。

 

薬がなくなったタイミングで通院することになっているので、昨日の夜から新しい薬を飲み始めたのだが、副作用の眠気が強烈で、昨日の夜どうやって寝たのか覚えていない。

実は今まで飲んでいた薬も副作用で眠気が出るもので、どうやって寝たのか覚えていない日が時々あったのだが、薬が強いものになったことでよりその傾向が強くなったらしい。

こんな調子でこの先やっていけるのか心配になるが、先生が言うには数年単位の長い目で見れば薬なしでも健常者と同じように楽に生活できるようになるそうだし、診断を受けてしまったからには通院するしかないだろう。

一応薬代は返ってくるそうだし。

 

そういうわけで、薬が強くなって抗うつ剤が追加された以外には、前回の通院記事から進展は特にない。

薬の変化が心身にどういう影響を及ぼすかはまだわからないが、とりあえず1週間は様子見で在宅勤務の形を取らせてもらうことになったので、できるだけこの障害とも向き合ってみようと思う。

これだけ心の病んだ言動を取っていると自殺を心配されることもありそうだが、死にたいと思ったことは今までに一度もないし、今も全く考えていないので、その点は心配しないでほしい。

発達障害を抱えて生きるのは大変だが、だからといって自殺するほどの勇気は僕にはないから。