荷物持ちでも構わない

文系大学4年生からデータサイエンティストを目指して頑張りつつ、書きたいことを書きたいときに書きたいだけ書く、ルール無用雑記ブログ。

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常に一手遅い男|高3の3ヶ月間で全国偏差値を55から70まで上げた話

僕は昔から、何をやらせても常に一手遅い。

始まりは中学生時代の高校受験まで遡り、大学4年生の後半となった今でも「一手早く動いていれば」と後悔することが後を絶たない。

今日はそんな僕の、常に一手遅く生きてきた半生を振り返る話。

中学時代一切勉強せず、適当に入れるところに入った高校受験

僕は小学生の頃は結構勉強が良くできた。

それを当時から自覚していた僕は、中学生になっても自分は勉強ができると思い込んでいた。

ごく一般的な公立の中学校に進学し、学年全体で200人ほどいる中で、入学して最初の試験で29位だったと思う。

2回目の試験は確か45位ぐらい。

それからはどんどん順位が落ちていき、60位、80位と来て、一番悪かったときで110位ぐらいだっただろうか。

下手に最初に成功してしまったせいでその後怠けて後れを取るという、まさにウサギとカメのウサギになっていた。

それでも当時の僕は、「まあ真ん中ぐらいなら大丈夫でしょ」と特に危機感も抱いていなかった。

そのまま高校受験を迎え、家からそこそこ近くて合格率の高そうな公立高校に進学した。

県内偏差値50ちょっとの高校である。

当時の僕はというと、「偏差値50より上なら十分良い方」という認識であった。

下半分は大学に行かないので実質真ん中より下であることも知らずに。

高校で受けた全国模試の成績を見てようやく自分の現状を知る

高1の3学期になって、初めて全国模試というものを受けた。

あれは進研模試で、確か記述式だったと思う。

国数英の3科目で、全国偏差値は54ぐらいだっただろうか。

当時から僕の志望大学は今通っている大学で固まっており、当然今の大学に入学するつもりでいた僕は、返却されてきた模試の今の大学の合格判定を見て愕然とすることになる。

E判定もE判定、全く話にならないぐらい合格圏からかけ離れていたのだ。

そして、そんな成績でも、学年偏差値は60弱ぐらいはあった。

「真ん中より上の学力はある」という当時の僕の思い込みは一挙に打ち砕かれ、

今のままでは志望校には遠く及ばないこと」「自分の通っている高校が全国的にもかなり低いレベルにあること」の2つの事実を突然目の前に叩きつけられた。

高1の3学期、16歳の冬になってようやく、自分のレベルを初めて知ったのがこのときだった。

そして、その事実を叩きつけられた僕は、心機一転、猛勉強して巻き返しを図ることになる。

高2の3学期、学年順位で20位程度まで学力を上げるも全国偏差値は55程度に留まる

高1の冬になってようやくまともに勉強を始めた僕だが、中学時代一切勉強していなかったせいでまるで基礎が身についておらず、1年かけてようやく学年全体で300人ほどいる中の20位前後まで定期試験の順位を押し上げた。

それでも定期的に受けさせられた河合塾の全統模試では全国偏差値55程度で、変わらず第一志望として書き続けていた今の大学の合格判定は、高2の最後の模試でようやくE判定からD判定になったぐらいだった。

このままではまずいと感じた僕は、さらに勉強時間を増やし、家にいる時間のほとんどを勉強に費やし始めた。

高3になると、学校の授業は既に当時の僕にはレベルが低すぎて聞く気にならなかったが、内職をして説教をされるのも面倒だったので適当に聞いているフリをしてやりすごし、家に帰ってからは当時好きだったラジオを聴きながら勉強をする生活。

土日は朝起きたら午前中は日本史の勉強をし、午後は国語と英語に時間を費やし、隙間時間は単語帳を見て過ごし、夜になるとラジオを聴きながら数学の勉強。

高3の春からは、既に勉強が半分趣味と化し、ひたすら勉強に勉強を重ねて中学時代一切勉強をしてこなかった分の遅れを取り戻そうと必死になっていた。

高3の5月に受けた全統記述模試で全国偏差値70に達する

高1の冬から勉強に勉強を重ねてきた努力がついに実を結んだのが、高3の5月頃に受けた全統記述模試。

その前に受けた模試で全国偏差値55程度だったのが、ここで大きく伸びてついに全国偏差値70に達することになる。

国数英の3科目で、内訳は、国語が76、数学が64、英語が70。

河合塾の全統模試の総合偏差値は各科目の偏差値の平均を取っているだけなので、これで総合偏差値がちょうど70。

そして、ここで初めて、今通っている大学の合格判定がA判定に到達した。

当然校内での順位は1位で、英語に関しては校内偏差値が108に達していた。

偏差値が100を超えることもあるというのをこのとき初めて知った。

ここで全国偏差値70に到達してからは、その後の模試でも全国偏差値70と、第一志望であった今の大学の合格判定でA判定を維持し続け、極めつけにセンター試験本番では5教科で8割5分を取り、センターリサーチで今の大学の志望者順位1位を獲得することになる。

第一志望だった大学に今も通っていることからわかる通り、二次試験もかなりの上位の成績で通過し、無事合格。

そして現在に至るというわけである。

もしも勉強を始めるのがあと一手早かったら?

受験する気はさらさらなかったので余談になるが、模試の成績だけで見ると、大阪大学経済学部まではA判定が取れていた。

私立では、文系ではトップと思われる早稲田の政経がB判定。

キャンパスライフを関東以外で過ごす気は一切なく、かつ親から「関東の大学に通うなら国公立に行け」と言われていたので両者とも全く意味のない判定ではあったのだが、高校に入った時点で大きく後れを取り、中学レベルの基礎が抜け落ちている状態でのスタートでそれだけの成績を叩き出せたのだから、もし中学時代からちゃんと勉強していれば、東大京大や早慶のトップ学部とまでは言わずとも、一橋や早慶の中堅学部、地方旧帝ぐらいなら十分受かっていた可能性がある。

まあ、こんなものはタラレバの話でしかないので全く無意味な仮定ではあるが、もう一手早ければ、全く違う人生を歩んでいたかもしれない。

そう考えると、あと一手早ければなあ、と思わずにはいられないのである。

大学に入ってからも常に一手遅い男

大学に入ってからも、最初は経営学を学ぶつもりでいたのが存外つまらなくてマーケティングに鞍替えしたり、

就活のために社労士を目指していたのを諦めて統計学を独学で学び始めたり、

就職先が決まってから大学院に行きたいと思い始めたりと、

常に一手遅い人生を歩み続けてきたので、その辺の話ももう少し詳しく書こうかと思っていたのだが、高校時代までの話が思いのほか長くなってしまったので、大学入学後の話は割愛する。

もしまた機会があれば書くかもしれない。たぶん書かないけど。

まとめ

常に一手遅い男の学生時代を振り返る話。

まあ人生最短ルートで効率的に生きている人の方が圧倒的に少数派だろうし、ふらふら寄り道しながら行き当たりばったりで進んでいくのが人生というものだとは思うのだが、それにしても僕は「一手遅い」ことで後悔することが人より多い気がしているので、こうして記事に書いてみた。

「一手遅い」を積み重ねた結果、「文系大学4年生からデータサイエンティストを目指す」なんて無茶な目標を立てることになってしまったのだが、果たしてデータサイエンティストを名乗れる時が本当に来るのだろうか。

その第一歩として、まずは日曜に控えている統計検定2級の試験にサクッと合格してやりたいところだ。

試験に落ちてまた一手遅れることになるかもしれないが、まだまだ大学4年生、遅すぎるなんてことはきっとないはず。

理想のキャリアパスを描けるように、今からでも、少しでも早く前に進めるように努力していく所存なので、応援よろしくお願いします。